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子供の自殺


今回は子供の自殺について私見を述べます。

9月1日、夏休み明けに自殺が多いことが報道されるようになり、子供の自殺に対してメディアの関心が高まりました。

これを過剰に報道すると、かえって自殺する子供が増えるのではないかという懸念もあるので、表現には注意が必要かもしれませんが、大事な事実なので隠してはならないものだとも思います。

自殺に関しては、精神疾患だから治療すれば治るといった単純な話ではなくて、それが発生した経緯、原因について検証すべきです。

夏休み明け、学校が始まる前に自殺が増えるというデータは、明らかに学校という環境が自殺の原因であることを示しています。

そこには、同級生からのいじめがあったのかもしれませんし、先生からの体罰があったのかもしれませんし、もっと他の原因があったのかもしれません。

特定は難しいかもしれませんが、何らかの強いストレス、子供の心理を追い詰める何かがあったことは想像に難くないでしょう。

自殺は、ようは逃避です。

非常に辛い状況があり、そこから逃げたいが逃げる方法がない。

こう考えた時に、もう死ぬしかないと思ってしまう。

自殺が唯一の手段と思ってしまうのです。

したがって、他に逃げる方法があれば、死ななくても良いという理屈になります。

しかし、子供が自由に選択する権利があると考える大人は少なく、学校を自由に休んで良いと言う先生や親は少ないでしょう。

例えば、「今日は学校を休む」などと子供が言えば、たいていの大人は怒ります。

これは非常に問題です。

例えば、いじめられた時の子供の心理を想像してみましょう。

大勢からいじめられれば、なすすべはなく、対抗する気持ちにもなりません。誰かに言おうにも、「告げ口するな」と密告を禁止されることもあるでしょう。怖くて、大人にいじめについて相談できなくなります。しかし、学校には怖くて行けません。

こんな状況では、事情を説明せずに学校を休もうとする子供もいると思います。

しかし、事情を説明せずに学校を休もうとすると、先生や親など、たくさんの大人から怒られます。

これでは八方ふさがりで、この状況を打開する方法なんて思い浮かぶはずがありません。

学校なんて自由に休んで良い。学校なんて行かなくても良い。そんなことで、大人は子供を叱ったりしない。

この風潮が広まらない限り、夏休み明けの自殺が無くなることはないでしょうが、そこまでリベラルな風潮が日本で広まるのかは疑問です。

いじめ自体を無くす方が先だ、という考え方もあるでしょうが、教室という密室の中で大勢の子供が集まる以上、多数派と少数派ができるのは必至です。対立、喧嘩も必ず起きますし、それがエスカレートすることもあるでしょう。

こう考えると、学校という環境でいじめが起きないはずがありません。

完全にいじめを無くすには、子供を一箇所に集めたりしないことです。

考えてみると、地域に住む同い年の人間が狭い部屋に集められ、勝手に出ることを許されない環境は、人間の営みとして不自然です。

大勢の大人を無理やり狭い部屋に押し込めて出さないようにしたら、人権侵害で世間から強く非難されるはずです。

しかし、子供の場合は許される。

これでは、子供に人権を認めないようなものです。

「学校に通う」というシステムそのものを見直す必要があるように思います。

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